プロ野球界に入る上で、必ず通る道であるドラフト会議。そこにはたくさんのドラマが隠されています。選ばれる者、選ばれぬ者、そして、自らその道を選ばぬ者。
今回は、前評判ではプロの門を開くと思われていなかった選手が、ドラフト会議にて指名された選手を紹介いたします。
指名の裏には、ドラマと各球団の卓越したスカウティング能力があります。
よりプロ野球を楽しむためにも、是非ご一読ください。
西武ライオンズ ドラフト3位:松岡洸希投手 (武蔵ヒートベアーズ)
サイドスロー転向わずか半年の和製林昌勇!
うねりを加えたサイドスローから、鋭くシュートするMax149キロのストレートが武器の快速サイドハンド。キレの良いスライダーとのコンビネーションで、BC武蔵では奪三振率10.73を記録した。
転機:弱小高校の三塁手が一年でプロ入りした軌跡
中学、高校と強打の三塁手としてプレーしていた松岡選手。高校3年時には投手も経験し、143キロを記録するほどの球速を誇った。しかし、部員14人と少なかった桶川西高の最高成績は。埼玉県大会2回戦敗退と、決して輝かしいものではなかった。
そんな松岡選手に転機が訪れたのは、最短でプロに行くことを意識して入団した武蔵ヒートベアーズである。
昨年10月の自主練習中に肘を痛め、思ったより球速か伸びなくなっていた。
そこで、元東北楽天ゴールデンイーグルスの片山博視コーチからの指南を受け、サイドスローに転向すると肘の不安が解消された。
加えて、憧れであった林昌勇(イム・チャンヨン)のフォームを動画サイトで研究し、真似ることで、球速は最速149キロまで成長した。
まさにシンデレラストーリーである。
東北楽天ゴールデンイーグルス 育成ドラフト3位:山崎真彰内野手(ハワイ大学)
メジャーも注目したアメリカ仕込みの逆輸入内野手!
俊足巧打が売りのショート。ハワイ大学ではセカンドも兼任しつつ、通算で打率.316 4HRの好成績を収めた。
また、三振が少ないのが特徴であり、大学通算373打数で、27回しか三振を喫していない。
西海岸の大学ベストナインにあたる、カンファレンスオールスターを2度受賞している。
転機:苦難を乗り越えアメリカの地で才能が開花!
東京学館浦安高校では五番サードとして活躍し東京国際大にしたが、アメリカで野球をやりたい思いが募り、大学1年の夏で東京国際大を退学。東京国際大の姉妹校へ留学し、その後ご両親がハワイ大附属高校出身であったことから、ハワイ大学へ編入した。
しかし、ハワイ大学では東京国際大学で取得した単位うち10単位しか認められず、3年生時点で60%以上の単位を取得できていないと試合に出場できないという理由から、一年間は試合に出場できなかった。
しかし、単位取得ののち試合に出場できるようになると、メジャーリーグ11球団から調査書が届くほどの選手に成長した。
中日ドラゴンズ 育成ドラフト1位:松田亘哲投手(名古屋大学)
バレーボール部出身の異色な快速左腕!
秀才名古屋大学に突如現れた快速左腕。トレードマークのメガネから繰り出されるストレートは、Max148キロを記録する。
シンプルなセットポジションからスライダー、カーブ、チェンジアップを投げ込むが、一番の武器はストレートである。
また、身体能力も高く、遠投115メートル、50メートル走6.3秒を記録する。
転機:努力が実を結び念願かなってプロ野球選手に!
なんと松田選手、江南高校時代は3年間バレー部に所属した。
しかも、高校に野球部があったにも関わらずである。
中学時代は身長が低かったことから3番手投手で、思いっきりプレーできなかったという。そのフラストレーションから、高校では友人とともにバレー部に所属した。江南高校バレー部ではリベロを務め、見事県大会に進出した。
しかし、バレーを引退するとともに、野球をやりたい想いがふつふつと湧いてきたという。その結果、大学受験の目標が、名古屋大学に入学するだけでなく、名古屋大学で野球部に入ることに変化していった。
無事に名古屋大学に入学し、野球部に入部したが、入学当初は身体の線が細く、球速が120キロ程度しか出なかったという。加えて下半身が安定しないことからストライクが入らず、フォアボールを連発してしまうありさまであった。
そこで松田選手は徹底的な下半身強化とカロリー摂取を実施した。その結果、身長176センチ体重86キロというガッチリとした体を手に入れた。それだけでなく、球速、コントロールも安定し、名実ともに名古屋大のエースに成長したのである。
西武ライオンズ ドラフト8位:岸潤一郎外野手(徳島インディゴソックス)
挫折を乗り越えプロ入りを果たした甲子園の申し子!
高校時代、明徳義塾高校では4度の甲子園に出場した甲子園の申し子。ピッチングだけでなく打撃でも1年から明徳義塾高校の四番を務め、甲子園でも2本のホームランを放った。
その信頼は、鬼軍曹と呼ばれる明徳義塾の馬淵監督が、岸には殆ど怒ることがなかったと言われるほどである。
徳島インディゴソックスでは1年目からファーストのレギュラーを獲得。シーズン中からはセンターとライトを務め、盗塁王を獲得した。2年目の19年シーズンはショートに挑戦。70試合で23失策を犯したが、リーグ1位の12二塁打を記録した。
転機:一度は諦めた野球の才能を、第二の故郷 徳島で開花!
高校時代、甲子園で鳴らした実力で、プロから上位指名があるのでは、と囁かれていた。
しかし、馬淵監督の母校であり、明徳義塾高校と太いパイプを持つ拓殖大学へ進学を選択した。拓殖大学でも1年春から3番指名打者でレギュラーを掴み、華々しい大学デビューを果たした。
しかし、大学時代の岸はトミージョン手術などの怪我に見舞われ、成績が振るうことはなかった。
加えて、大学内での衝突もあり、一度は野球への想いが切れてしまったという。その想いは固く、バット一本を除いて全ての野球道具は処分してしまったという。
しかし、一般企業への就職準備ちゅうにちと、徳島インディゴソックスの南社長から熱心な入団の誘いに加え、両親からのサポートもあり、トライアウトを経て徳島インディゴソックスへ入団した。
当初は肘の故障の影響もあり、一塁手が中心の出場で成績も奮わなかったが、故障の回復と共に成績も上昇し、見事プロ野球の門をたたいた。
千葉ロッテマリーンズ 育成ドラフト2位:植田将太捕手(慶応義塾大学)
エリート街道を進んだ、正確なスローイングとキャッチングが魅力!
慶應義塾高校では、1年秋からベンチ入りし、3年時には正捕手の座を獲得。春夏共に県大会ベスト8を記録した。
セールスポイントは二塁まで1.7秒台の正確なスローイングと、高い技術を持つキャッチングである。ロッテの下敷領スカウトも、キャッチングで投手陣から厚い信頼を得ていることを指名ポイントに上げている。
守備面だけでなく、高校時代の春季県大会でレフトスタンドへのホームラン、夏季県大会ではレフトオーバーの3点二塁打を放つなど、打撃でもチームに貢献した。
大学通算わずか5打席!プロのスカウト力が光る指名!
高校時代の同級生、津留崎(楽天3位)柳町(ソフトバンク5位)と共に慶應大学に進学した。しかし、その先に待っていたのは、分厚い戦力の壁だった。
同期には甲子園で鳴らした仙台育英高校の郡司(中日4位)がおり、試合に出場するのは並大抵なことではなかった。
そんな中でも得意のキャッチングとスローイング能力を売りに二番手捕手に定着し、18年秋には初安打となるタイムリーヒットも記録した。
しかし、最上級生になった19年4月、トミージョン手術を受けることとなった。トミージョン手術は1年半前後のリハビリ期間を要すると言われている。当然、植田は大学4年シーズンを棒に振り、大学通算成績はわずか5打数1安打に終わった。
しかし、郡司に隠れながらも投手陣からの信頼の厚さと高い守備力がロッテスカウト陣の目に留まり、ドラフト指名に至った。
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